血と月のうつわ
中村綾花
母からわたしの産まれるとき纏ってきた胞衣は、沖縄の恩納村安冨祖のアカティーダバンタ ( 赤い太陽の崖 )に埋められました。胞衣を壺にいれて庭に埋め赤子の成長と幸せを祈る風習は、約150年前に日本の近代化により政府に禁止されるまでは日本の各地で一般的に行われていた出産習俗でしたが、現在はほぼ失われています。
沖縄という土地は世界的に広く存在する神聖なものと女性性を隔てる『女の血の穢れ』という概念のほとんど定着しなかった稀な土地なのだそうです。胞衣が大地の一部に還されている。わたしは自分のルーツと大地との繋がりをつよく感じます。太古の人々は土器に産まれたときの胞衣を入れ、死ぬときもまた同じようにして土器に入り、埋葬しました。それは大地に埋める土器を女性の子宮と重ね見ることで生と死の円環、再生の祈りを現しているのだと思います。
はじめて尖石の縄文土器をみた時とてつもなくエロスをかんじ縄文のひとはまぐあうように器をつくっていたのではないか、こんなにも気持ちよさそうなこと、わたしもしてみたいと鮮烈におもい土器をつくるようになりました。わたしにとって土器づくりは性的なもの、きもちのよいこと、とおなじところにあります。ふくらみとくぼみ、灰や砂に手をうずめながら心地よく動かしたときのようなこと、水や大気の渦、遡上した鮭の舞う水面の波紋。捌いた腹の内臓の美しさとおいしさと、生命の漲る紋様は裏返した内臓の内側のようです。土と水のまぐわいを手の中に感じながら、それらをたどることで紋様は生命を宿らせる。身体感覚をたよりに土に触れ器をつくっていると、あまりに原始的な所作のなかに、つくるという行為そのものの呪術性や現代にも繋がる祈りの本来の在処がみえてくるように感じられます。
土器をつくる過程で土が乾かぬよう適度な水分を保つため太古の人たちは口に水を含み霧状の水分を土器に吹きかけていたに違いなくて、種火から火を起こすときの息のこととも繋がって、先住民の儀式のなかで水分を口に含み霧吹きのようにして神に捧げる姿、自然と人とのあいまに『息』を介してようやく交流がはかれるという祈りの姿に踏襲されていくのではないか。神楽では笛の音は神様の声だから幕のうちから姿を見せずに吹くのだよというお話とも重なって、わたしたちが日常話している言葉も、息に音をのせてやどされた言霊なのだと、土器を介して息ということに改めて驚いたり。そうやって気付いてゆくなかで、自らの身体と土器を重ねみること、土器棺や胞衣壷の子宮のメタファーとして土器に入れ大地を孕ませ再来を祈る行為はとても自然なこととおもえました。
女性は月経によって精神的にも肉体的にも自分ではどうにも抗えないものを毎月我が身をもって否応なく激しく体感しつづけている性をいきているのですが、これは四季があり素晴らしい恵みもありながら地震に津波に台風にと天災の激しく荒振る日本という土地のことと近い気がしています。豊穣と破壊。どうやってもどうにもならない自然を前に畏怖や祈りをもっていきていくこと、それは女性が毎月体感せざるをえない自分ではどうしようもない荒振りを我が身のこととしてうけいれ、それとともにいきること、そしてそのどうしようもなく荒振る身体や土地が他者とまぐあい自らを激しく変容させ、いのちをもたらすことや時にはいのちを失うこと、そういった女性的な身体感覚と日本という土地のもつ個性とがぴたりとはまり縄文という文化が花開いたのではないでしょうか。
生命を宿すことを疑わないわたしの身体は毎月自らの血によって胎内に月のうつわを創造する。20年もそれと呪いのように向き合い続けようやく自らの中に生命の再来への渇望を認め許せたとき、土に触れるなかでの体感や気付き、わたし自身とうつわの重なりのなかで、胎土と自らの経血によって土器をつくることに生と死の円環、生命の再来を祈ることはとても自然な流れでした。縄文土器には呪術や祈りをこめるために胎土に種や灰がねりまぜられたものがあります。そして土器や土偶の多くは意図的にこわされてから穴に埋め、もの送りによって大地にかえされる。それは毎月胎内につくられては壊れる生命のうつわ、そこに再生の真理を重ね見てのことではなかったのだろうか。それらの再生を祈る儀式には生命を創造する血液、経血をなにかしらのかたちで使用したのではないかと思えるのです。血に触れるとき、それは全くわたし自身であるのに禁忌に触れるような感覚や、知らずと植え付けられてしまっていた不浄の感覚が思考をよぎり、それを超えて胎土と経血とを練り混ぜていくと次第に、こうする他ないという体感そして確信にかわっていきました。わたしたち自身の生命の根源という最も身近で聖なるものでありながら、穢れや不浄のなかに隠されてしまっていることを見つめなおすこと、そしてなによりわたし自身の生命の再来への渇望の現れとしてうまれてきたうつわです。